『DIAMOND online』にて記事連載中!!

“Just looking”は便利な言葉

そのまま訳すとヘンになる問題

先日メールの翻訳を頼まれた。一度お願いしてあった案件について、状況が変わったので「ご放念ください」と海外の取引先に伝えたいという。

訳して欲しいという日本語のメールをみると、お願いしてあったことについて、「わざわざご尽力頂かなくても大丈夫になった。どうか引き続きご支援をよろしくお願いします。」というようなことが見事に丁寧な文章で書いてある。ただ、そのまま訳したら、受け取った側は頼まれたことを、やったほうが良いのか?、やらなくて良いのか?と、戸惑うであろうことは明白だった。

たまたまその案件は、それまでの経緯も知っていたので、「もう必要ない」ということを明確に伝えることが重要だとクライアントに説明し、結局そのメールは日本語の原文をもとに私が意訳することとなった。


それで思い出したのが、まだ駆け出しの頃に英国から来日している方のご依頼で、日本企業との商談通訳をしたときのこと。答えたくないのか何なのか、理由は不明だが質問に対して日本側から的を得ない返事が何度か繰り返された後、その英国人がちょっとイライラしながら、説明に対し「Why?💢」と一言で返した。その口調と表情から「なんで?(怒)」と訳したくなったが、初対面だし、正式なビジネスの席なので「良かったら理由をお聞かせ頂けますか?」と訳したところ、その英国人は「I did not talk that much(俺はそんなに喋ってない!)」と(半分笑いながらであるが)私を責めた。

英語の文章をそのまま日本語に訳すと、とてもぶっきらぼうに聞こえてしまうことがある。更には、私が女性であるが故に表現によってはぶっきらぼうな上にガサツで失礼な印象にもなることもある。意識せずとも「女性に期待される話し方」というのがあるため、通訳という「代弁する立場」であっても実際に言葉を発する人の性別によって与える印象が変わるのは事実である。

因みにその英国人は、「あなたのお気持ちは顔の表情と語気の強さで十分伝わるので、日本語として訳した言葉はビジネスの場に相応しい表現にしたんです」と説明したら特に気にする様子もなく納得してくれた。その後も、その人とは何度も仕事をすることになったが、会うたびに「Why?事件」(と私は呼んでいる)を思い出してしまう。

こういったことは、通訳をしていると日常茶飯事だ。言語を訳したとき、いわゆる直訳をしてしまうと印象が全く違ってしまうことが良くある。それをバランスを考えながら、その場に適した言葉を選んで訳すわけだが、どこまで踏み込むか、どの程度の意訳なら許されるのか・・・語感(言葉に対する印象)は人によっても違うので私が適切だと感じる言葉を選んでも、聞いている人には意訳が過ぎると思われる場合もあるかもしれない。

その逆もまた然りで、もっと思い切って意訳した方がピッタリした表現になったのに、と後から考えることもある。通訳の仕事を始めて20年以上が経つけれど、この辺りの判断は今でも悩む。そして悩んでも「正解」は分からないことが多い。「正解」はその場にいる人がどう感じるか、伝えたいことが違和感なく伝わったかどうかということでしか判断のしようがない。毎度毎度、悩みながら訳し、後から「あれで良かったのかな?」「もっと良い表現があったのではないか?」など、ウジウジと考え続けるのが通訳という人たちなのである(いや、通訳が全員ウジウジ悩むわけではないので、「ウジウジする私なのである」というべきか・・・)


便利なのに日本語に訳すとぴったりこない言葉

“Just looking”というシンプルな表現がある。直訳すると「見てるだけです」という意味。ウィンドウショッピングのときに便利な言葉だ。実は私にとって、この”Just looking”というのが「便利なのに、そのまま日本語に訳すとヘンな英語」の代表格だ。ぴったりくる日本語表現がなかなか見つからない。

私は、お店で店員さんに話しかけられるのが苦手である。店に入り、まだ買うかどうかは決めていないけれど、ちょっと商品を見てみたいときに店員さんから一生懸命に話しかけられると居心地が悪くて、そそくさと立ち去ってしまうなんてことは良くある。苦手なのだ。そういう時に”just looking”って便利だなぁと、つくづく思う。(まあ、コロナ禍ではウインドウショッピングする機会もなくなってしまったが。)


アメリカに住んでいたときは、店員さんから「May I help you?(いらっしゃいませ)」とか「Are you looking for something?(何かお探しですか)」などと話しかけられても、”Just looking”と言えば直ぐに放っておいてもらえた。大袈裟な言い方かもしれないが、”Just looking”という言葉によって「今は一人で見ていたいから、しばらく放っておいて頂いて大丈夫」という互いの合意形成が瞬時に成立し、欲しいものが見つかるまで気楽にウィンドウショッピング出来る気がするのだ。


英語も日本語もお互いが気持ち良い表現が理想

一般的に、英語では結論を先に言ったほうが良いとか、日本語では直接的過ぎる表現は避けた方がいいとか言われる。ただ、英語にも遠回しな表現はあるし、日本語で端的な表現をすることもあるので、必ずしもその限りだとも思わない。まして、これは優劣の話ではない。

いずれにせよ、その場の状況に応じてお互いが気持ち良いと感じる表現が選択できるようになるのがベストなのだろう。お店で店員さんに話しかけられて気まずい思いをするたびに、「”Just looking”って言えたらいいのに」、、、と思いながら言葉の修行はまだまだ続くことを実感する私なのでした。