『DIAMOND online』にて記事連載中!!

語学力と伝える力について

日本語だったら大丈夫なのに、英語だと伝えられない

「日本語だったら大丈夫なのに、英語だと伝えられない」という相談を受けることがある。母国語でない言葉で想いを伝える難しさは私も痛いほど経験してきた。過去形ではない。今だって四苦八苦している。

その一方で、強い想いが言語の壁を超えることもある。英語は便利なコミュニケーションのツールではあるが、どんなツールも想いがあってこそ意味があるとも思う。語学力と伝える力について考えていると、いつも思い出すことがある。

通訳が要らないほどの情熱?

数年前、お世話になっているクライアント企業が、何がなんでも勝ち取りたい悲願の(!)契約があるということで、総力をあげて準備をした会議に通訳として参加した。交渉相手は、名前を言えば子供でも分かるほどのアメリカの超有名企業。その超有名企業の経営陣に契約に向けてのプレゼンをする会議だった。そこに私のクライアント側から現場担当の人が急遽参加することになった。ここでは仮にAさんとしよう。Aさんは、この仕事をやりたいという理由で、わざわざ他社から転職してきた。転職してきたばかりなのに「この契約が取れなかったら辞める」などと周囲に語っていたらしい。

会議は特に問題もなく順調に進んだ。そろそろ終わりというときに、Aさんが突然、「はい!」と元気に手をあげて日本語で喋り出した。この会議には同時通訳のシステムが入っていなかったので、逐次通訳(話し手が喋り終わってから訳す方法)をするために私はAさんの発言をメモしながら聞いていた。

「私はこの仕事をやるために、以前の仕事を辞めてこの会社に入りました。(中略)どうしても、この仕事をやりたいんです!やらせてください!お願いします!私が絶対に成功させます!お願いします!」

普通だったら怯んでしまうようなエライ人たちを前に、会議室の外まで聞こえるほどの大きな声で、緊張しながらも情熱を込めてAさんは自分の想いを熱く語った。喋り終わって深々と頭を下げたところで、私がAさんの話を英語に訳そうとしたら、交渉相手のアメリカ人幹部の一人が拍手した。他の人も拍手し始めた。ビジネスライクに進められていた会議室の雰囲気がガラリと変わり、皆の気持ちが一つになったような気がした。言葉は通じなくても想いが確実に伝わったのが分かった。

通訳いらないじゃん・・・マジメに思った。衝撃だった。

交渉相手のエライ人たちは私の方を見ると「We got it but please interpret just in case」(分かったけど一応通訳して)と冗談半分で言い、私はまるで「余計なこと」をするような気持ちでAさんが話した内容を英語に訳した。

オバハン呼ばわりをめぐる会話

会議が終わったあと、スピーチに感動したことを告げると、Aさんは私に「なんか怖そうなオバハンがいると思ったら通訳さんだったんですね〜」と面と向かって言い放った。初対面で、いきなりオバハン(しかも怖そうな)呼ばわりかい!?  私が怒り狂ったことは言うまでもない。

Aさんの情熱と皆の想いが通じ、クライアント企業はめでたくその契約を勝ち取り、会社に残ったAさんとは時々オフィスで顔を合わせた。Aさんに会うたびに私は「怖そうなオバハン呼ばわりした恨みは一生消えない!ずっとイジメ続けてやる〜!!!」とからかった。奇しくも私はAさんにとって本当に「怖いオバハン」になってしまった。

そんな風にAさんをからかう度に、私はあの会議を思い出し、「伝える力」について考えた。状況が許せば、その場にいる人にも会議でのエピソードを話した。Aさんの仕事にかける熱い想いと武勇伝(?)を会社で共に働くAさんの仲間にも知って欲しかった。

Aさんに教えてもらったこと

今日、Aさんが亡くなったと知らせがあった。少し前に体調を崩して入院されたと聞いていたが、癌だったとのこと。最後に会ったのは、オフィスで偶然同じエレベーターに乗り合わせたときだった。例によって「私をオバハン呼ばわりした仕返しはまだ終わっていないからね〜!」とからかったら、「勘弁してくださいよ〜」と笑いながらエレベーターを降りていった。いつもと同じ、ふざけながらの会話だった。

私はAさんから「伝える力」について、「情熱を持って仕事をすること」について、通訳としても仕事人としても、とても大切なことを教えてもらったと思っている。あのとき私は、想いが言語の壁を超える瞬間を確かに見たのだ!その感動と感謝の気持ちを私はちゃんとAさんに伝えられていたのかな。伝えたことはあるけれど、いつも冗談めいた会話ばかりだったから、伝わった自信がないな・・・。

あの会議のことは、「通訳キャリアで最も衝撃的だった出来事の一つとして私の中にしっかりと刻まれている。もうAさんをからかうことはないけれど、刻み込まれた記憶は、これからも私が「語学力と伝える力」について考える時に、ひょっこり顔を出すのだろう。そして、「日本語だったら大丈夫なのに、英語だと伝えられない」という相談を受けたときにはAさんのことを語ったりするのだろう。人が出会って、自分の行いや発言が相手の記憶に刻み込まれ、その人を通して会ったこともない知らない誰かに語られる。最後にエレベーターで会った時のAさんの顔を思い出しながら、その不思議についてぼんやり想う。

Aさん、お疲れさまでした。もうオバハン呼ばわりされたことをネタにして笑い合えないのが寂しいよ。

大切なことを教えてくれて本当にありがとうございました。 心からご冥福をお祈りいたします。